日時:2024年3月17日(日)雲のち雨
参加者:男性3名、女性4名、計7名
行程:難波8:13(南海高野線)9:19学文路9:30~10:25丹生神社日輪寺10:30~12:55極楽橋12:55~13:55不動坂口女人堂14:05~(金剛峯寺、壇上伽藍、奥の院 散策)~16:00中の橋駐車場(バス)高野山駅(ケーブル)極楽橋駅(南海高野線)難波
2022年町石道(ちょうせきみち)、2023年黒河道(くろこみち)に続き、今年も京大坂道を登って、お大師さんにお詣りです。
南海高野線学文路(かむろ)駅を下車し、極楽橋を経て不動坂口女人堂を目指します。
この参詣道は、かつては旅籠や茶屋で賑わっていたそうですが、今は静かな集落を通り抜け、舗装された狭い車道を登っていきます。参詣道には参詣者の安全を祈って造られた六地蔵があり、これを道標にして登って行きます。
途中、道沿いの梅、桜、早春の草花を愉しみながら、春の訪れを感じた散策です。
学文路~丹生神社・日輪寺
学文路駅を出発です。雨が降らなければ良いのですが…
石板が道案内をしてくれます。
西光寺・苅萱堂
石童丸物語(出家した父を母子が高野山に探しにいく悲話)の舞台なったところで、石童丸の母の墓石も残っています。
参詣道沿いの庭先で、梅や早咲きの桜が満開です😍
山の斜面には、柿の段々畑が広がります。
弘法の硯水
弘法大師がこの地を通りかかった際、村人に硯の水を求めたところ、あいにく水はなく、村人は遠い谷まで水を汲んできた。大師はこの厚意を大変喜び、ここに水が湧き出る井戸を設けたそうです。
大師の硯水、第四の地蔵(九度山町河根)を通りすぎると、急な坂道を下っていき、九度山町河根(かね)の丹生神社・日輪寺へ
丹生神社・日輪寺~極楽橋
千石橋・二里道標石
九度山町河根と高野町佐水の間を流れる丹生川に架かる橋、千石橋。7年毎に営繕費千石が支給されたことからこの名がついたとか。
ここから高野山女人堂まであと二里です。
千石橋を渡ると、急で長いコンクリートの坂道(作水坂)が続きます。
何度も立ち止まって休憩したくなりますが、一旦止まってしまうと動けなくなりそうなので、黙々とゆっくり一歩ずつ登っていきます🥵🥵🥵。
坂を登り切ったところに第五の地蔵(高野町作水)があり、ここで倒れこむように休憩です。
今回のコースで、ここが一番きつかった‼️
神谷の仇討
第六の地蔵(高野町桜茶屋)から坂を登りつめたところにある黒岩あたりで、明治4年に日本最後の仇討ちが行われました。討たれた7名は、地元の村人によって墓所でお祀りされています。
高野街道一里道標石
高野山女人堂まであと一里ですが、少し奥のお堂で昼食です。
小雨が降り始めたので、素早く昼食を済ませて、先を急ぎます。
極楽橋
極楽橋~不動坂口女人堂
極楽橋から女人堂までの不動坂は、遊歩道ではなく、山道のいろは坂を登っていきました。(今日初めての山道です。)
いろは坂は谷が深く急な斜面を九十九折りに登る急な山道ですが、この坂を登ればなだらかな山道が続き、稚児の滝を左手に眺め、清不動(高野参詣前に心身を清め直す場)、花折れ(参詣者が奥の院でお供えをするため、ここで花を折ったところ)を経て、女人堂です。
不動坂口女人堂
不動坂口女人堂、無事到着😀お疲れさまでした。
高野山は、明治5年まで女性の立ち入りをを禁じていたため、高野山への入り口に女人堂と呼ばれる籠り堂が設けられていました。不動坂口女人堂はそのひとつで、現存しているのはここだけです。
雨が本降りになる中、金剛峰寺、壇上伽藍、奥の院弘法大師廟を参詣。
冷たい雨のせいか参拝者はいつになく少なめ。心静かにお詣りすることができました。
次回、京大坂道に行かれる方は、学文路駅ではなく紀伊神谷駅または極楽橋駅で下車して、不動坂(いろは坂)を登って女人堂を目指し、高野山をのんびり散策することをお勧めします。 ※それほど作水坂の急登は堪えました(笑)